今回は、大学院の修士課程に進む意味について語りたい。
修士課程に進むかどうか悩んでいる人や、色んな人の考えを知りたい人向けの内容だ。
私は国公立の工学部を卒業後に同大学の大学院に進んだ経歴がある。
修士課程を知らない人にザックリ説明すると…
大学に入学すると学士課程(4年)を経て「学士号」を得る。修士課程とは大学院に区別される過程で、学士号を得てから追加で2年ほど研究や学修に励むことで修士号を得る過程のことだ。
そして、今の私が思うに大学院に進むべき人は
「その分野のフロント側で頑張りたい人」であると言える。
私の場合は工学分野である。
理由は2つある
1つ目は…
「学歴の価値が年々落ちている」からである。
これは、難関大の女子枠の増設であったり、私立大の推薦過多によるものである。
もはや学士卒はある意味専門分野では信頼できるものではなくなっているといっていいかもしれない。
そうなったとき、重要なプロジェクトをやらすなら学士より修士にやらすか…となるため、修士課程のほうが良い経験が積める傾向があると考える。いい経験ができれば、業界人としてよりフロント側に出ることができる。
2つ目は…
「やっぱり成長できる」からである。
大学院では8割研究で、研究内容は研究室によって異なり、研究室での学びは主宰する教授の能力や考え方によって大きく異なる。
私の研究室の修士生は、「自分自身の研究を進めるのは勿論、後輩への指導も頻回に行う。積極的に研究に参加するのだ。」
後輩に説明する必要があるので、中途半端な理解では務まらないし、実験系(実験の手順および装置の組み立て)の立ち上げを一人でやることもあった。
実験系の立ち上げはとても大変で、限られた装置を工夫して組み立てて、理論的に不備が起こらないように条件設定する必要がある。それを一人でやるわけだから相当思考力が付くし、どうしても足りないものは自分で手作業で作っていたので器用さも上がる。
組み立てて、エラーを探して、修正して…の繰り返しである。
そして論文発表もあるので資料を作ったり、毎週の進捗発表でも美しい流れや見せ方を意識しながら作っていた。
なにより後輩の発表や実験の風景を見ると、自分の成長を実感できる。後輩(卒論生)の中には、自分が何をやっているのかわかっていない子たちも多い。
という具合に成長できる。日常生活においても、トラブルが起きたら自分で原因究明して、対策が打てるくらいには成長したと言ってもいい。エンジニアとしてはようやく人権を得た程度にはなれるかと思う。
てなわけで…
修士はやっぱり成長出来るし、価値あるものだと思う。
学部生とは出来ることや考え方の次元が二段階くらい違うし、この思考力があれば社会でも頑張っていけると思うし、何より肩書もあわせて社会でも評価されるのではなかろうか。
ただし、ダラっと過ごす修士生は学士卒と変わらないくらいのクオリティのもいる。大体研究室ごとに真面目にやってるやつとそうでないやつが明確に分かれていて、進学するからには真面目に取り組むことが必須である。
ではまた!